2010年04月22日
戦争に巻き込まれるC56形機関車
大井川鉄道にはC10形、C11形、C12形、C56形などのSLが今でも元気に走っています。
平成7年7月7日には千頭駅に7両の蒸気機関車が揃ってお目見えしたり、2009年9月9日には銀河超特急999号が走ったりと、ぞろ目の日などにイベントが行なわれています。
銀河超特急はC11形の1両だけが999号として特別運行しましたが、やはりいろいろなイベントが開催できるのも、保存車輌数が多い大井川鉄道なればこそです。
これらのSLはそれぞれに大井川鉄道とは違う場所での歴史を持ってやって来たのですが、中でも大変な歴史を持つC56形蒸気機関車について、ここではお話したいと思います。
ポニーと呼ばれるC56形機関車は、第二次世界大戦の間、タイやビルマに送られ、戦争のために働いていたのです。
C56形が走っていたのはタイメン鉄道というタイからビルマへ軍隊を送るための鉄道でした。
タイメン鉄道はわずか1年3ヶ月の期間で急いで作られた415kmもの長い鉄道です。
人が入ったこともないようなジャングル、深い谷、山々…そんな過酷な場所に鉄道を敷くのは、容易なことではありません。
猛獣や毒ヘビ、サソリなどの危険生物、マラリアなどの恐ろしい病気、そして敵からの爆撃など、多くの犠牲者を出しながら強引に工事が進められました。
その末に完成した鉄道は、ただ地面を平らにして枕木を敷き、レールを乗せ、谷川には木を積んで架けた橋にレールを乗せただけという簡易的なものでした。
重い列車が通ると当然ながら路線が沈んでしまったり、雨が続くとすぐに流されることもありました。
日本からやって来たC56形機関車はこのタイメン鉄道で多くの兵隊や食料、弾薬を積んで走りました。
脱線や転覆、時には橋が崩れて谷底へ落ちて行くこともありました。
そんな悪条件の中でも、C56形は懸命に走り続けたのです。
戦争が終わって日本に帰って来たのは、たった2両となってしまいました。
そのうちの1両が、現在、大井川鉄道で煙を上げるC56形44号機なのです。
今日もC56形は、昔のつらい思い出を抱えながら、今は平和となった大井川に沿って走っています。
平成7年7月7日には千頭駅に7両の蒸気機関車が揃ってお目見えしたり、2009年9月9日には銀河超特急999号が走ったりと、ぞろ目の日などにイベントが行なわれています。
銀河超特急はC11形の1両だけが999号として特別運行しましたが、やはりいろいろなイベントが開催できるのも、保存車輌数が多い大井川鉄道なればこそです。
これらのSLはそれぞれに大井川鉄道とは違う場所での歴史を持ってやって来たのですが、中でも大変な歴史を持つC56形蒸気機関車について、ここではお話したいと思います。
ポニーと呼ばれるC56形機関車は、第二次世界大戦の間、タイやビルマに送られ、戦争のために働いていたのです。
C56形が走っていたのはタイメン鉄道というタイからビルマへ軍隊を送るための鉄道でした。
タイメン鉄道はわずか1年3ヶ月の期間で急いで作られた415kmもの長い鉄道です。
人が入ったこともないようなジャングル、深い谷、山々…そんな過酷な場所に鉄道を敷くのは、容易なことではありません。
猛獣や毒ヘビ、サソリなどの危険生物、マラリアなどの恐ろしい病気、そして敵からの爆撃など、多くの犠牲者を出しながら強引に工事が進められました。
その末に完成した鉄道は、ただ地面を平らにして枕木を敷き、レールを乗せ、谷川には木を積んで架けた橋にレールを乗せただけという簡易的なものでした。
重い列車が通ると当然ながら路線が沈んでしまったり、雨が続くとすぐに流されることもありました。
日本からやって来たC56形機関車はこのタイメン鉄道で多くの兵隊や食料、弾薬を積んで走りました。
脱線や転覆、時には橋が崩れて谷底へ落ちて行くこともありました。
そんな悪条件の中でも、C56形は懸命に走り続けたのです。
戦争が終わって日本に帰って来たのは、たった2両となってしまいました。
そのうちの1両が、現在、大井川鉄道で煙を上げるC56形44号機なのです。
今日もC56形は、昔のつらい思い出を抱えながら、今は平和となった大井川に沿って走っています。
Posted by 関 at 09:11
│戦争と蒸気機関車